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教員になること

倉地宗一郎は特に教育に関心があるわけではなかった。
学閥に入ってうまく流れに乗って出世する。
それが、自分の人生の成功だと思っていた。

流れに乗るには、学閥にいるだけではだめだと考えていた。
教育畑では、教育研究をし、良い実践をする。それは表向きのことだけだと考えていた。

他人との差をつけるには、何と言っても金の力が大きいと考えていた。
上手く流れに乗りながら、要所要所では金を上手く使う者が他人より一歩先んずることができると考えていた。

しかし、倉地の家はそんなに財産家ではなかったので、金、いわゆる軍資金をどう作るかが課題であった。
倉地は考えた。
「人と同じことをやっていては金を作れない」
それではどうするか?

普通の人は自家用車を持つが、自分はそうしないで、その分軍資金として貯めることにしようと考えた。
自転車か、原動機付き自転車でがまんしようと決心した。

いずれ、頂点に立てばその時何でもやれる。
そう考えた。

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第2の豊橋事件

第2の豊橋事件は、大分県で教育汚職が問題になったように、教員の裏側のみにくい出世問題が舞台にになっている。
教育という仕事に就きながら、自分の使命が何であるか認識しないどころか、人を犠牲にしても何とも思わない校長が主体を演じている。

人を犠牲にしても何とも思わないような人間が校長になれると言うこと自体、教育改革とは組織をいじるだけでは何ともならないことを表している。

表向きは教育は聖職とのふりをし、裏では全く正反対のことをして平気というものすごい実態を表向きにする必要がある。

第2の豊橋事件?

ところで、第2の豊橋事件かと思われるニュースがある。
警官が交通事故を偽装して保険金をだまし取ろうという事件は、時々報道される。
だが、この第2の豊橋事件とも思われる事件は、交通事故が問題となっていて、警官が関与しているのだが、単純な偽装事件ではないようである。

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役人の癒着

役人の癒着も冤罪を生みやすい環境と言える。

本来は、民主主義の手段としての議会などが機能しなければならないのだが、市民の声が正しく議会を通じて討議されなかったり、役所同士のウラの連携ができていて、討議したりする前に結論が出てしまっている場合がある。

裁判とて例外ではない、判決に影響を及ぼす裁判官の経歴については、ジャーナリストの江川紹子氏が書いていたが、中立の立場でなければならない裁判官が、自分の身の回りにけっこう影響されている。

買収されないように、裁判官の給料は高いとされているが、みながみなそうではない。
近頃では、かなり高額な賄賂を受け取っていると噂の裁判官の情報も漏れている。
噂の裁判官は女性で、もらった金をなんと出張ホストに貢いでいるという話である。

なぜ、こういう人が裁判官でいるのかというと、裁判官になるためには、モラルの高さは問われないからである。
裁判官も人の子である。
だから、誘惑があったとき、それにどう対処するかはその人の人格次第である。

裁判官ももてなしを受けていて、裁判を行えば当然公平な裁判などできるはずがない。

弁護士の出している本に「正義が勝つとは限らない」とか「必要な証拠は作られる」などと言うことが堂々と書かれているということは、裁判はひとつの儀式であるとみた方がよいのかも知れない。

ニュースで報道される裁判は、毎日行われている裁判のうちほんの一部である。
裁判は公開が原則とされているが、実体は密室に近く、かなりの裁判が開かれる前に、ウラの打ち合わせで結論が決まっていることが多いとみておいた方がよいだろう。

弁護士も含めて、癒着の仲間に入っている。
弁護士はプロの試合のように、勝ったからどうということはない。
弁護士の最大の関心事は「いくら儲かるか」であるから、儲かる話なら、勝てるはずの裁判でもあえて負けて儲けるという話には乗っかってしまうのだ。
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衆議院の選挙があると、裁判官の国民審査といって「辞めさせたい裁判官に×をつける」という用紙を渡される。

辞めさせた方がよいかどうか、判断できる人がどれくらいいるのだろうか?
政治家なら、テレビの討論会や国会中継を通じて、どんな人か見極める機会がないわけではないが、裁判所の裁判官のことはさっぱりわからない。

判断しろと言うなら、判断材料を示すべきだと思う。

「辞めさせたい者に×」というのも変だ。
「裁判官を続けてもよいと思う者に○をつけよ」としたらどうか?

行政の不始末などはよく報道されても、司法の世界の報道はほとんどない。

立法、司法、行政とある中で、司法はほとんど闇の中である。

だから、国民の中には裁判官を神格化している人もいるようだ。

まあ、最近は「おや?」と思う判決が出て、少しその思いが崩れた感じもあるが、裁判官は神ではない、普通の人間であることを再認識すべきである。

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