役人の癒着も冤罪を生みやすい環境と言える。
本来は、民主主義の手段としての議会などが機能しなければならないのだが、市民の声が正しく議会を通じて討議されなかったり、役所同士のウラの連携ができていて、討議したりする前に結論が出てしまっている場合がある。
裁判とて例外ではない、判決に影響を及ぼす裁判官の経歴については、ジャーナリストの江川紹子氏が書いていたが、中立の立場でなければならない裁判官が、自分の身の回りにけっこう影響されている。
買収されないように、裁判官の給料は高いとされているが、みながみなそうではない。
近頃では、かなり高額な賄賂を受け取っていると噂の裁判官の情報も漏れている。
噂の裁判官は女性で、もらった金をなんと出張ホストに貢いでいるという話である。
なぜ、こういう人が裁判官でいるのかというと、裁判官になるためには、モラルの高さは問われないからである。
裁判官も人の子である。
だから、誘惑があったとき、それにどう対処するかはその人の人格次第である。
裁判官ももてなしを受けていて、裁判を行えば当然公平な裁判などできるはずがない。
弁護士の出している本に「正義が勝つとは限らない」とか「必要な証拠は作られる」などと言うことが堂々と書かれているということは、裁判はひとつの儀式であるとみた方がよいのかも知れない。
ニュースで報道される裁判は、毎日行われている裁判のうちほんの一部である。
裁判は公開が原則とされているが、実体は密室に近く、かなりの裁判が開かれる前に、ウラの打ち合わせで結論が決まっていることが多いとみておいた方がよいだろう。
弁護士も含めて、癒着の仲間に入っている。
弁護士はプロの試合のように、勝ったからどうということはない。
弁護士の最大の関心事は「いくら儲かるか」であるから、儲かる話なら、勝てるはずの裁判でもあえて負けて儲けるという話には乗っかってしまうのだ。